名将逝く
個人的には茨城を象徴する人だと思っています。甲子園の名物監督と言って差し支えないでしょう。取手二高、常総学院を率いて甲子園で3回優勝した木内幸男さんが亡くなられました。
啼鵬にとってはやはり取手二高のとき。小学5年生でした。桑田、清原擁するPL学園に延長戦の末勝ち、茨城県に初めて優勝旗をもたらしました。
更には常総学院監督を勇退すると決めて出られた、対東北高校。ダルビッシュ攻略は大変なものだったでしょう。
実は啼鵬がガキの頃によく遊んでもらった従兄弟は常総学院野球部の、いわゆる木内一期生。キャプテンをしていました。最後の夏、県大会の準決勝だったか、ラジオのアナウンサーが、負けた後のキャプテンの様子を伝えたのは耳に残っております。
2008年には教え子である取手二高の投手、石田文樹さんが若くして亡くなられました(2008年7月18日参照)。さぞかし心を痛めた事と思われます。
木内マジックと言われた監督の采配。「え?ここでスクイズ!?」とか、当時はプロでもあまり行われていなかったワンポイント・リリーフとか、観ている人を驚かせたものです。
実のところ、啼鵬が音楽制作の現場に出ると、監督の采配である「適材適所」を心がけていて、そのポリシーは大いに啼鵬の音楽家としてのスタンスに影響を与えました。分野は違いますが、これからも木内監督のされていた采配を、自分なりにやっていこうと思います。
これまで多くの勇気と希望を県民に与えて下さった木内監督。有り難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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私も昨晩の訃報を知りとても残念です。次男が中学から、常総学院に通学していたので、入学式をはじめ、常総学院の野球グラウンドで何度かお見かけしていました。他県との練習試合等もホームで行うときは足を運び、楽しませていただいたり、元気をもらっていました。引退してからも何度か夏の県大会などにお姿があり、球場のスタンドで気さくに会話して頂いたこともありました。高校野球に関心をもったのも、茨城県勢🏆️初の甲子園大会優勝の興奮などがきっかけだったような気がします。
大胆な選手起用や戦法、選手の能力を引き出す観察力、試合運び、とても懐かしいです。木内マジックもさえわたりました。
独特の茨城弁ももう聞けませんね(涙)
ご冥福を心よりお祈りいたします。
投稿: おみたん | 2020年11月26日 (木) 00時20分
あのダルビッシュ攻略にはちゃんと戦略があったと聞いたことがあります。
何でもダルビッシュは常総と試合をする前に決勝戦を想定していたのか「決勝戦も完投します!」と宣言したのだとか。木内監督はそれを聞いて「ならば我々の時にはどこかで手を抜く投球があるはず。それは何か?」考えて出た結論は「スライダー」。ここに的を絞って打てと選手には伝えたそうです。まさに木内マジック。
ご本人は「マジック?弱者の兵法だよ」と言われていたそうですが、今や常総学院も全国区の超有名校にまでなったのも木内監督のお陰です。
我が県はと言えば、なかなか優勝まで届きませんね。元より甲子園に出ることだけでも凄いのに、3回も優勝に導いたんですからね。驚きです。しかも、高校の先生としてではなく、職業監督として生涯を貫かれたというスタイルもなかなか出来るものではないでしょう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
そして、タンゴの本場アルゼンチンでは、英雄マラドーナ死去のニュースまで。思わぬビックニュースが続いて、接点がない自分でも驚きの一言です。
投稿: 語る会 | 2020年11月26日 (木) 11時24分
> おみたんさん
偉業を成し遂げる方を見ていると、分野に関わらず、何か共通したものを感じます。音楽の世界にも大いに通用する世界観を、木内監督はもっていると思いました。今後は教え子さん達の活躍を期待したいですね。
> 語る会さん
常総学院は取手二高出身の佐々木監督から、常総出身の島田監督にスイッチしました。今の茨城は群雄割拠という感じですが、常総学院のようなチームがあったからこそ、他のチームのレベルも上がってきたと思います。
「野球」を取り巻く環境も随分変わりました。少子化然り、他のスポーツの台頭然り。今後も目が離せません。
投稿: ていほう | 2020年11月26日 (木) 11時34分