変わらない10年
地震で停電。すぐに情報が入手出来る手段としては、車のラジオだと思いついたのでしょう。旗揚げ公演を控えたA.R.C.のリハーサル中に起きた東日本大震災。ギタリストの角圭司さんの車のラジオで、さっき体感した大地震が、とんでもない事の始まりだと知ったのでした。
あれから10年。その車が止めてあった場所は、何も変わっていません。周りの景色も。毎日ここで生活しているので、変わったとか、変わっていないとか、そういう意識はありませんでしたが、振り返ると何も変わっていない、と気付きました。
しかし生活は一変。物質的にも精神的にも、元の生活に戻るまで大分かかりました。10年経った今は、誰もが予想もつかなかった新型コロナ・ウィルスで、生活が変わらざるを得なくなりました。
これも「歴史は繰り返す」の1つなのでしょうか。
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コメント
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まだ結婚はしていませんでしたが、当時彼女だった今の妻は、あの大震災の時東京に居ました。
新宿からの電車もバスも全く動かなくなり、新宿中央公園はめちゃくちゃな人だかり。やっと逃げ込んだ京王プラザホテルでは、締め出しをくらい、途方に暮れた先に私に電話をかけてきました。
ちょうどネットが繋がる状態だったので、あれやこれや駆使して、東京の避難場所を知らせるサイトを発見。直接電話を入れて、受け入れの確認をした後、彼女とは電話を繋げっぱなしで、避難所まで道順を案内して、ようやく辿り着けました。
おかしな話で避難所には新宿にも関わらず、避難した人はたったの7人だけ。いかに都会の情報網が寸断されると、全く役に立たないものになることを実感した一日でした。
ちなみに翌日もバスは走らないため、まともに走っていそうな東海道新幹線を利用して、名古屋まで来てもらい、私が名古屋まで迎えに行きました。ただ、新宿から品川まで山手線に乗ったのですが、ちっとも動かないらしく、この区間を走るのに2時間30分もかかって、ようやく品川に到着したそうです。
投稿: 語る会 | 2021年3月12日 (金) 11時17分
> 語る会さん
恐らく多くの人に、そういったエピソードが隠されているのでしょう。新宿〜品川でしたら、私だと歩けますね。
こちらは停電の上、ネットも電話もつながらなかったので、実家に行って家族に会うまでは安否が分かりませんでした。生まれて初めて「会えば生きているかどうか、分かるんだ」と実感しましたね。
投稿: ていほう | 2021年3月12日 (金) 16時45分