« 帰ってきた二次会 | トップページ | 再会のSteinway »

2022年12月12日 (月)

追悼:外山浩爾先生

 啼鵬が芸大附属高校に在籍していた頃の副校長先生、外山浩爾先生が亡くなられました。先生は声楽家で、芸高ではソルフェージュのクラスを担当。実は啼鵬、外山クラスに居ました。

Img_20221212_235506352 しかし先生の授業を受けた記憶は1〜2回。先生は生徒の間でドイツ語の休みを意味する「パウゼ」と呼ばれ、授業でお顔を拝見する事は極めて少なく、合宿やセレモニーのときにお会い出来る、貴重な先生でした。ちなみにソルフェージュは其の都度、臨時で代わりの先生が担当。

 芸高生の間では知られた事ですが、先生は若い頃のバイト(!?)で、ウルトラマンセブンの主題歌の冒頭、「セブーン、セブーン、セブーン」と音が重なっていく一声部を担当されています。恐らく当時の多くの少年が耳にした事でしょう。

 船舶免許をもっていた先生は、臨海合宿でも遠泳をする我々を熱くサポートして下さいました。

 芸高を退官された後は、聖徳大学に赴任され、啼鵬の妹もお世話になりました。妹の出演する演奏会に足を運んだときに、バッタリ先生にお会いし、「大丈夫だ、妹、ちゃんと卒業させるから!」と激励!?

 パウゼの名の通り、お会いする機会は決して多くなかったのですが、先生との思い出は楽しいものばかりでした。こんな落ちこぼれ学生を育てて下さり、有り難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

« 帰ってきた二次会 | トップページ | 再会のSteinway »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

直接お会いしたことは無いのですが藝高の入学式で司会をされていた映像を覚えております。当時小学生だった私にさえ良く響く声だった、と記憶しております。

> ゴルゴさん
 昔ながらの先生だったな。今このような先生、いないかも。

このブログだけでも、愛すべきキャラクターだったことが伝わります。
何だか、すごく楽しそうな先生だったのでしょうね。

ウルトラセブンの歌声を担当されていたのですね。この当時の特撮モノやアニソンは、本格的な歌い手の方が多かったせいか、顔を知らなくても、歌の印象は強く残っていますね。(ウルトラセブンを始めとして、時代的に直接見たことがなくても、何故か印象に残っています。)

> 語る会さん
 ちなみに喋る声は、いかりや長介さんに似ていました。そして兄上様、外山雄三先生については「兄は自称、国民楽派」と仰っていました。
 実は演奏会チケットを頂いた事もありました。ロバート・バート指揮の武蔵野音大オケでしたね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 帰ってきた二次会 | トップページ | 再会のSteinway »

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ