最初にライブをやろうと言われたときには、どういうサウンドになるのか、皆目検討もつきませなんだ。何しろBandoneonと打楽器はともなく、Alto Clarinetですから。Soloで聴くことなど、殆どありませぬ。
んま、リハーサルも順調に(2025年5月8日参照)。しかしこのときは、打楽器のMINTAさんは太鼓1つだけ。その後、Vibraphoneも持ってきたリハーサルもしましたが、本番当日はもっとたくさんの打楽器。なんとドラム缶まで!
啼鵬にしてもTangoは1曲もやらず、即興が主。括りとしてはJazzになるのでしょうけど、久しぶりに冒険的なライブをやった気がしました。
特筆事項はやはり好田尚史君のSoloかなぁ。もう一番近くで聴いていて、音の並びから表現まで、魅力満載。相当なテクニックを駆使して演奏していると思いますが、今回のAlto Clarinetの限界に挑戦、という印象も受けました。
返す返す思うのは、大学4年のときの芸術祭。野外ステージでT-T Piano-less Quartetというバンドをやった仲間なのに、2人とも覚えていないとは!
でも同期の仲間とこうしてライブが出来るのは、嬉しいことです。次回もあるかしら。お足元の悪い中、お越し下さいましたお客様、有り難うございました。
Clarinetの村井祐児先生が亡くなられました。恐らくプロフィールで「村井祐児氏に師事」という記述は、中堅からベテランの殆どの方々にあるのではないでしょうか。それくらい近年の日本のClarinet界を育ててこられた先生です。
副科でClarinetを履修した啼鵬は、残念ながらレッスンを受けた事はないのですが、その試験では先生に演奏を聴いて頂いております。そこら辺のエピソードは、居酒屋で先生とバッタリお会いしたときの記事に(2012年1月6日参照)。
その後、Sonor Clarinet Ensembleでもご一緒しました(2014年11月30日参照)。それが最後になろうとは。先生の偉大な業績とは裏腹に、ユニークなお人柄は、一度接したら決して忘れられないものです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
兵庫公演に行ってきましたが、凱旋したのは清塚の信サマではありませぬ。
そのPianoを彩るNHK交響楽団のViola奏者、中村翔太郎さん。本公演は首席を務められていました。調べたら何と、アタシの高校・大学の後輩ですか。圧倒的に多い桐朋閥の中にあって、同じくツアーで首席をしている坂口の弦ちゃん(2015年1月9日参照)と同じ学閥。芸高52期生とは、啼鵬門下のチョー優秀な田中翔一朗君の1コ上ね。卒業式ではアタシの編曲した「蛍の光」を演奏したかしら。
公演では啼鵬の隣の席にご尊父様が! ご子息のご活躍、何よりです。いやぁ、啼鵬もヒトの親になったんで、少しは分かるようになりました。
ツアーも折り返し、残すところあと5公演。最後まで笑いを、じゃなかった、素敵な響きを届けて下さい。
紆余曲折あって本番には参加出来る事になりました。編曲しただけなので、客席で聴いて紹介を受ける、という程度を想定していたのですが、実際には...!?
そう、楽器も衣装も小道具も今回のために揃え、何とか演奏面よりも見た目で!
我々が演奏したリュリの「町人貴族」。初演が1670年ですので、今回のプログラムの中では一番古い曲という事になりました。ちなみに邦楽チームの「根曳の松」は、どうやら1800年代に出来た模様。プログラムとしては長谷見順子先生の新作初演との開き、なんと350年以上に及びます。そんな幅広い時代、国、編成、演奏者の世代と、同声会ならではの内容だったかと。
お忙しい中、お越し下さいましたお客様、有り難うございました。
今年度最後の弦楽講習会。昨年第57回高等学校音楽会で一段落した(2024年10月30日参照)、それぞれの弦楽部。最高学年が引退して新しい体制に。
その新体制最初の講習会の場所は、土浦駅前の県南生涯学習センター多目的ホール。実はココ、啼鵬が関わる前に土浦一高弦楽部の演奏を聴きに行ったホールでした(2008年3月29日参照)。まさかその後、土浦一高を含む合同弦楽合奏の指導をする事になろうとは。もう10年以上も!
前述の通り先輩達が引退したために、人数は減りましたが、不思議なものです。規模が縮小されただけの弦楽合奏に非ず。このアンサンブルもまた個性を発揮。今後の成長が楽しみです。
作曲家、ピアニストの藤井一興先生が亡くなられました。啼鵬は直接教わる事はなかったのですが、例えばNAOTO君がソルフェージュで藤井クラスだったりしたので、よく話は聞いていました。
手元のCDは、Violinの故田中千香士先生とのDuoアルバム。Saint-SaensのSonata2曲を収録。ちなみに場所はつくばのNova Hall。両先生ともフランスで勉強されたので、通じ合うものが格別あったのかと思います。
藤井先生と言えば芸高、芸大での大先輩なのですが、作曲専攻にも関わらず、同期のPiano専攻生よりも上手かったとか、逸話が残っております。
作曲家がPianoを弾くとき、明らかに曲に対するアプローチは、楽器専門奏者とは違います。取り分け伴奏をするときなど、Pianoを弾いているというより、オーケストラを再現しているとか、そういうスタンスで弾いていますね。...って豪語する程、啼鵬はテクニックを持ち合わせてはいませんが...。
藤井先生を筆頭に、野平一郎先生、山田武彦先生、寺島陸也先生など、「作曲家=Pianoの名手」というイメージが出来上がり、啼鵬も苦労しました。今でもしてます。
人生100年時代、70歳とは早すぎますが、先生の演奏に触れる機会がある度に「Pianoはかくあるべし」と心に刻んでいました。ご冥福をお祈り申し上げます。
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