時が経てば記憶も薄れてくる、という思い出もあるでしょう。この年になると30代の頃のことなど、殆ど覚えておりませんが、その中で絶対に忘れられないのが3.11です。
その日の全てを記憶している訳ではありませんが、未だに色々思い出すと涙が溢れてくる事もあります。A.R.C.のリハーサル中に被災。チビを保育所に迎えに行くと、園庭に避難していた園児の皆さん。さぞかし怖かったことでしょう。先生方のお陰でみんな無事でした。
夕方には連絡がとれなかった家人も帰宅。夜には実家にも行ってみると、家族はみんな無事。「会う」と安否が確認出来るんだ、という当たり前の事を実感したものです。
その実家では停電していましたが、ガスは使えたのでインスタント食品を食べましたが、「温かい」食べ物がこんなにも心を落ち着かせるものかと驚きました。
また度ある毎に思い出すことでしょう。
ところで先日の啼鵬の誕生日。珍しくケーキをオーダー。
本日公開の動画のオープニングでも映りましたが、このキャラ、パット見で分かった人、相当なサンリオ・マニアです。もちろんサブ・キャラですが、それもサブ中のサブ。当然ピューロランドにはいませんし、グッズにもなっていません。それはそれで可哀想な気もしますが...。
ケーキにはプリントしてもらったのですが、このくらいのキャラならば、チョコペンとかで描くので十分かと店員さんに尋ねると、職人さんが1人しかいないので、今回は間に合わないと。はぁ、このくらいの絵でもそうなんですかい。
あとネーム・プレートも漢字だと細かくてムリ、と言われました。んま、十分ですがね。
今年もこの日がやってきました。13年前の14:46。
啼鵬はこの部屋でA.R.C.のリハーサルを。ちょうど「La Trampera」を演奏しているときに地震が発生。震度6弱だったと知るのは少し先の話。
実はこの日の事はそんなに細かくは覚えておりませぬ。「La Trampera」だったというのも、あとでVocal,Percussionの山下亮江さんが教えてくれた事。彼女は今でも地震が発生したのが曲のどの部分かも覚えているようで、演奏するときにはいつも震災を思い出すようです。
啼鵬の場合はやはり拙作「along with you」かしら。これまで数え切れないくらい演奏してきましたが、毎回震災関連の様々な事象を思い出し、ときには目柱が熱くなる事もありまする。
今日は在宅だったので、隣の小学校から聞こえてきたアナウンスに合わせて、自身も黙祷を捧げました。
形あるものはいつかは...と考えれば、まぁ諦めもつくのですが、中には納得のいかない壊れ方も。
電気屋の息子なんで、テスターは必須アイテム。ダイヤルがポロッと外れてしまったんで、また着けようかと思いきや、アレ?よく見ると軸が折れている!茨城弁で言うところの「おっかけてっぺよ!」。なんでこうなった!? もう修復不可能なので、公民館の小型家電回収ボックスへ。
ついでなんでケーブルも。黒い方は導線が向き出しに。この部分、弱いのかな。何かの付属品ケーブルなので、たいしたもんでも無さそう。
白い方は家人のiPhoneを充電したりするケーブル。コネクターがあんな事に...。そんな壊れ方をするケーブル、初めて見ましたわ。
恐らく生まれて初めてだと思います。同じ誕生日の敬愛する作曲家、Elgarの作品を生演奏で聴いている自身の誕生日。
演奏しているのは近年指導をしているガマムジカアンサンブル星組の皆さん。偶然と言えば偶然。今回の曲目にElgar作曲「Serenade for String」が入っていて、本番前日の最終練習日である今日、ホール練習をしました。
なんと贅沢な時間。尤もアタシの為に演奏して頂いているワケじゃないので、テーホーが一方的に感傷に浸っているだけですが...。
ともあれElgarも本日、生誕166年の記念日。啼鵬もジンクス(2020年6月2日参照)を超えて五十路に突入してしまった。おっかしいなぁ。これからどうしよ。
イベント好きのテーホー。節分は重要な行事。ではあるものの、本番やリハーサルが入っていたりと、なかなか腰を据えての豆まきはムズカシイ。ま、本番の日でも控室でやった例はありましたが(2006年2月4日参照)。
んなもんで今年は恵方巻を。問題は豆。てっきり当日ならまだ買えるかと思いきや、いつも行くスーパーではもう撤去! もうひなあられが売ってた...。辛うじて次の店に売っていたので良かったですが。
さて、この恵方巻は...!? 詳しくは「限りなく啼鵬の一応動画劇場〜第百三十話」で。
地震で停電。すぐに情報が入手出来る手段としては、車のラジオだと思いついたのでしょう。旗揚げ公演を控えたA.R.C.のリハーサル中に起きた東日本大震災。ギタリストの角圭司さんの車のラジオで、さっき体感した大地震が、とんでもない事の始まりだと知ったのでした。
あれから10年。その車が止めてあった場所は、何も変わっていません。周りの景色も。毎日ここで生活しているので、変わったとか、変わっていないとか、そういう意識はありませんでしたが、振り返ると何も変わっていない、と気付きました。
しかし生活は一変。物質的にも精神的にも、元の生活に戻るまで大分かかりました。10年経った今は、誰もが予想もつかなかった新型コロナ・ウィルスで、生活が変わらざるを得なくなりました。
これも「歴史は繰り返す」の1つなのでしょうか。
流行病で学校が休校中、チビ達のメシの心配よりも、おやつの苦労をさせられたテーホー。その癖で、ついお菓子を買い置きしてしまうようになりましたが、今回の疑問。
お馴染みのチョコパイ。9個入りとな。しかし開封してみると、2段になっているプラ容器。突起物のある箇所は1個しか入れられず、それでトータル9個。なして?
素直に1区画2個ずつ入れて12個入りで販売しちゃダメなのかい? それともお菓子って1パックの重量制限とかあって、12個入りに出来ない理由でもあるのかしら。
それとも販売の統計から、9個入りが一番よく売れたのか。だったらパッケージをも少し小さくすれば、輸送コストだって下げられるハズ。
商売って分からぬ。
言ってみれば単なる玩具なのですが、ちょっと気になったので。
元々はチビのお子様ランチのオマケだったか。恐竜の卵とかで、水に漬けるとふ化すると。まさかこんな興味深い成長を遂げるとは思わなかったので、卵時代の写真はありませぬ。大きさはチャボの卵くらいだったか。
無事ふ化して、「おぉ!こんな風になるのか」と思ったところで、これまた写真を撮っておけば良かったと後悔。実はコチラの写真はふ化した後、放っておいたら縮んでしまったのです。
いや、厳密に言えば2回目の縮小。何しろ縮んでしまったのを、また水に漬けたらデカくなって面白かったので、再び縮んだときに、ようやく記念撮影。
そしてこの写真が水を含んでデカくなったとき。しかも何となくですが、ふ化したときよりも、成長した感アリ。伸びたり縮んだり、よく分からないゴンゾー。おっと、ゴンゾーは適当にアタシが命名。
一体ゴンゾーはナニで出来ているのでしょうか...。
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