実は1度だけご一緒、と言ってよいのか...。いしださんが司会をされていたNHK「ときめき夢サウンド」に出演した事がありました。調べたら1996年3月24日放送。啼鵬、学生時代最後の仕事!?
当時Piazzollaブームが始まりつつあって、その企画でいく話でしたが、映画「Shall we ダンス?」が流行っていた時期なので、そちらにシフト。いずれにしてもTangoなので、まだ駆け出しだった啼鵬にも声がかかりました。
オーケストラは宮川泰先生指揮する東京フィルハーモニー交響楽団。それとは別にTangoバンドが組まれ、Pianoに上柴はじめ先生、Violinが日色純一さんをトップとして3人だったか。依田彩さんもいらっしゃいました。Contrabassが大学の先輩。そしてBandoneonは京谷弘司さんと啼鵬。菅原洋一さんやダンサーのフリオ&ミキさんの伴奏などを。
廊下でミュージシャン達がたむろっていたところを、いしださんが通り過ぎました。たったそれだけなのですが、オーラがあって「うわっ!本物だ」と胸がドキドキしたものです。
啼鵬にとってはやはり女優さんですね。取り分けNHK朝ドラには何度も出演されていますが、私にとっては「青春家族」です。
今でも啼鵬の前を通り過ぎていったお姿は目に焼き付いています。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
テレビを観ていると懐かしい名前が。
大月秀幸さん。もう随分と昔ですが、演劇でご一緒しました。啼鵬はいくつかの楽器を演奏。しかも舞台上で演出に組み込まれているので、半分役者みたいな感じで。大月さんはそのときの演劇で、大きなエピソードを。
その演劇に関するTシャツを物販していたのですが、確か初日でどれくらい売れるかをみんなで予想。俳優さん、我々ミュージシャン、スタッフさんも巻き込んだゲームに。その枚数をピタリと当てたのが大月さんでした。ちなみにアタシは2枚の差で逃してしまいました。
おぉ、森山直太朗さんとのツーショット! 大月さんは啼鵬の事なんざぁ、覚えていないでしょうな。何しろその1回しかご一緒していないので。ま、1回と言っても、稽古から公演までは何ヶ月も付き合ったのですが。
ご活躍なにより。
ラジオの公開収録に参加してきました。番組自体はもう10年続いているようで、今回の収録はなんと第560回! ラジオ関西とラジオ日本での放送。
番組ホストの関係者で、
映画監督、女優、作家、シンガーソングライターなど、
多種多様。驚いたのは近年アタシが大ファンになった作家さんがいらっしゃっていたこと。このBlogでも紹介させて頂いた本の著者です(2015年5月12日参照)。
ちなみにこの公開収録で啼鵬は何をしたかと言うと、ホストお2人さんのサポート。今回はPianoを弾きました。娘さんの方はよくご一緒しますが、お母上様の方は久しぶり!
「加藤登紀子の地球に乾杯!」をお楽しみに。
今最もチケットがとれない劇団、TEAM NACSの第16回公演「PARAMUSHIR」が千秋楽を迎えました。
今回も数曲、
編曲させて頂きましたので。
実のところ、TEAM NACSの演劇を観るのはこれが2回目。やらせて頂いた仕事としては、今回も合わせて4つの演目があるのですが、観る機会に恵まれませなんだ。
啼鵬にとっての演劇は、小学校の学芸会は別としても、仕事をするようになってから、そこそこ関わっておりまする。学生時代に既に仕事をしたブレヒト劇の「ハッピーエンド」をはじめ、音楽が生演奏で加わる演目をいくつか(2014年10月10日参照)。
NAOTO君やアタシがよくお願いする面々での録音。
さすが皆さん、
啼鵬のスコアもよく分かっていらっしゃるので、作業もスムーズでした。
今回の第2回ラジオまつりFM-UU うしくクレッシェンド 春がいっぱいコンサートで、何が嬉しかったかって、個人的には古瀬俊介さんとご一緒出来たコト! え?誰かって? 啼鵬が若い頃よく聴いていたラジオ、茨城放送でとぉってもお馴染み。もぅ、夢中になって聴いていた番組のパーソナリティーでしたし、アタシ投稿もした事ありました。「隠れリスナーのタク」というラジオ・ネームで。
FMうしくうれしく放送では、木曜日担当。なので啼鵬がお会いする事は滅多に無いのですが、それでも同じ局の仕事をしているだけでも嬉しかったです。それがですよ、同じコンサートのステージに立てるなんぞ、これ以上の幸せがありましょうか。
歌のお姉さん亀田昌代嬢に乗せられて、
オペラの一節を(上手に)歌っているところ。
まさかこんな一面もあるとは!
この後に続くぎゅぎゅっ娘たちもやりにくかっただろうねぇ。
何しろ憧れの存在なものですから、啼鵬が番組パーソナリティーをするときは、どれだけ古瀬さんに近付けるかってのが課題。彼の「がんばれ!鹿島アントラーズ」の番組コールや、「~でございますねぇ」「~ですよぉ」の口調がいくらやっても、アタシには真似出来ませぬ。このスイッチ入ったときの古瀬さんがたまらんのです。
あっ、でも其れは生放送の「ぎゅぎゅっとラジオ854!」の話ね。「限りなく啼鵬の音楽全集」の方は、基本解説番組なので、クソ真面目になるべく学者のように、と心がけておりまする。
恐らく多くの方が驚かれたかと思います。俳優の大杉漣さんが亡くなられました。啼鵬は直接ご一緒する事は無かったのですが、編曲をさせて頂いた映画「シン・ゴジラ」にも出演されていました。
実は仕事ではなく、プライベートで偶然ご一緒した事がありました。2008年のこと。海上自衛隊呉音楽隊との共演で、呉市に赴いた折、友人と入っていた屋台に、偶然大杉さんもいらっしゃいました(2008年9月25日参照)。この記事の俳優O氏とは、大杉漣さんの事でした。彼の召し上がったラーメンと同じものを私も食べました(2008年10月2日参照)。今となっては懐かしい思い出です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
なおとくんとていほうくんの面々で唯一、ネットによる発信をしていないのがBassの一本茂樹君。Webサイト、Blog、SNS等、何もやっておりません。いやネットどころか、アナログでも、例えば紙媒体の「一本通信」とか、そういうものも皆無。
そんな一本君は、色紙にサインというのも苦手らしく、数年前に行ったなおていサイン・ラリーでは、ただ太い直線を書いただけ。ま、それが「一本」の「一」なんですが。
やればデキるじゃん。
しかもなかなかカッチョイー。
この前の福島県は須賀川市での出来事。
しかしながら、書いている姿は見せたくないらしく、別室で書き上げてきました。まるで「鶴の恩返し」だ...。
帝国ホテルのでディナーショーは2回目のNAOTO君。前回はもう3年前なんですねぇ(2012年12月2日参照)。
何だかねぇ、
たいした仕事もしていないし、
申し訳ない感じです。オーケストラのメンバーは腕達者が集まっているので、アタシがいなくともちゃんと回る。もちろん編曲関係は大変ですが、それは本番まで、いやリハーサルまでのハナシ。
本番中は客席でゆったり聞くってのがいいんじゃないかなぁ、音楽監督は。ラグビーの監督みたいに。
NAOTO君もですが、オーケストラの皆さん、そしてスタッフの皆さん、大変お疲れ様でした。
2年前、たいして吹奏楽コンクールに縁の無い啼鵬が、北海道は函館地区の審査員に呼ばれました(2013年8月3日参照)。
今となっては周知の事実なのですが、このとき函館出身の人気バンドが、凱旋ライブを計画。なんとその野外ライブが吹奏楽コンクールとマルかぶり。いろいろ検討した結果、大会日程を変更する事に。その変更に伴い、当初来るはずだった審査員の作曲家先生がNGとなり、啼鵬に白羽の矢が立ったワケ。
で、この地区は2年、つまり2回を1組として呼んで下さるという事で、アタシは今年も審査員を仰せつかりました。
その2年前の因縁のバンドがライブを!
つまり同じ敷地内で、
数千人規模のライブと吹奏楽コンクールが同時進行ですぜ。これも大会運営本部は、相当苦慮したようです。吹奏楽連盟、函館市、そしてイベンター、この三者の協力があって実現したようなもの。
ちなみに今大会は雨。テーホーは雨男で知られていますが、実は前回のコンクールのときは、とっても晴れ。で、この人気バンドの人達が野外ライブをしたときは雨。つまりはこの方達が雨を呼ぶオトコ達ってことね。
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